シャーロッツビルの悲劇 - 山猫日記
トランプ政権発足以来の
人種差別問題への問題発言危機問題についての
三浦瑠麗氏の見解を彼女のBlogで読んでみました。
文末の二箇所切り抜きで恐縮ですが、
「トランプ氏がどっちもどっち論を採用した」
「現在の問題としての差別の問題をゆるがせにすることは許されない」
という至って正論で有りました。
我々が差別とは何か?とか言う以前にアメリカは、
ジェノサイドをしまくり、優生学上の常識に基いて建国し、
リンカーン大統領時代に反省して奴隷解放した
曰く付きの差別有りきの国でしたから、もう議論の余地が
ないくらいに揉めながらも人種差別に向かい合ってきた国ですしね。
白人至上主義の極右集団とリベラル系市民のぶつかりで、
前者が後者を一人車で轢き殺しに至った事件でした。
喧嘩両成敗のトランプのドッチーモ発言は、
レイシズム反対世論に轢き殺されるに至る事件でした。
日本でも在特会が講演の不正不法使用していた朝鮮学校に罵詈雑言で
街宣掛けたりして裁判で負けたり、自公政権側から
ヘイトスピーチ規制法を作られたりした事象とも似ています。
両者の主義主張はドッチーモだとしても、加害者と被害者、
非常識と常識と相対して捉えられると
口汚く暴力的な方は勝ち目が失くなります。
昔なら圧倒的な力と気さえあれば、勝ちか進めましたが、
今の世間はそうはいきません。
昔の学生運動の特に左翼活動家は、
ヘルメットにゲバ棒火炎瓶で武装して戦ってました。
今の左翼は太鼓叩いてデモ行進し、右翼は国旗翳してデモ行進です。
60~70年代の機動隊との闘争よりも平和になったものです。
そこにトランプやドゥテルテ大統領の登場で暴言が飛び交い、
世論とマスコミがポリコレやります。
ヘイトクライムの暴力はいけませんが、
ヘイトスピーチと言われる言葉の選択と使用の自由は、
ご本人の意思に任せるべき事で、法制化して国家権力で
押さえ込むのには反対です。
個人や集団の品性や道徳に任せるべき分野です。
卑語俗語罵詈雑言など負の言霊を宿した言葉達は、
ご先祖様が培った文化であり、基本的文化の一端です。
偽悪的で悪びれた言葉もそれなりの文学的修辞や
逆説詩語でもある場合が往々にしてある処が日本語の奥深さです。
俳句や回文をするものとして、これを申し上げたかったのでした。
悪玉と善玉均す天秤座 二健
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